日本人の就寝生活の変化
万年床そのものは明治時代にはじまったわけではありません。
しかし、吸湿性の高い蒲団の使用が、かえって日本人の就寝生活の条件を悪くしたともいえるでしょう。
この万年床の慣習は明治後半から大正にわたってようやく改善の方向にむかいます。
しかし、それは衛生思想にリードされたものではなく、押入れ(押しこみともいった)という部屋の多角的使用を目的としたアイデアに導かれた現象でした。
近世の町家や農家などの平面図をみてもすぐ気付くことですが、押入れという、部屋に付属した収納部のある例はまず見当たりませんね。
ですから時代物のテレビドラマなどで、押入れに人がかくれたりする場面があるのは間違いで、もしかくれるならば納戸(なんど)部屋にでもはいった方がいいわけです。
・・・というわけで、押入れが一般化するのは近代のことですが、それもはじめは作りつけでなく、フトンダンスのような家具がいつしか固定化したと思われます。
ともかく、このフトンダンスや押入れの普及によって綿蒲団の収納場所が固定化し、夜がくると「タタミの上にフトンを敷いて寝る」という日本人の就寝風俗が、ようやくにして成立したわけです。
これは明治40年(1907)に雑誌『新小説』に発表された田山花袋の小説『蒲団』の一節です。
押入れの襖を開けるとそこに敷蒲団と夜着とが重ねてあります。
やがて主人公の時雄はそれをとり出して「其の蒲団を敷き、夜着をかけ、……ビロードの襟に頭を埋めて泣く」のです。
ここには明治末年の東京(話の舞台は牛込の屋敷町という設定である)の就寝風俗がえがかれています。
この文中に蒲団が時にわざわざ敷蒲団とも記されるのは、関西で掛蒲団・敷蒲団・羽毛 フトンが使用される風俗の反映ともみてとれるでしょう。